JOURNAL ジャーナル
千葉県内房の漁港と漁師

最近、千葉県内での活動が増えています。
昨日は内房に位置する小糸川漁港を訪れ、長年この海で漁を続けてきた漁師さんとお会いしてきました。
今、東京湾で増え続けている魚が「アカエイ」と「クロダイ」。
アカエイは、高度経済成長期より前までは、千葉でも当たり前に食べられていた魚。
お正月料理にも使われていたほどですが、食文化の変化とともに、より調理しやすく見た目も“わかりやすい”魚が好まれるようになり、いつしか姿を消してしまいました。
クロダイはというと、関西では「チヌ」と呼ばれ、高級魚として扱われる魚。
にもかかわらず、東京湾のクロダイは、江戸前海苔を食べてしまう“食害”や、雑食ゆえの味の不安定さ、見た目が黒っぽいから選ばれなくなってきて、個体数は増加を続け、遂に駆除対象魚になってしまいました。
鯛は赤いのがめでたいし、身も暖色がかったほうが美しい。
こうして、目の前の海で獲れる魚を人の知恵や工夫でおいしく食べる文化は、少しずつ遠ざかってきました。
代わりに、遠い国の海で大量に漁獲され、船の上で加工・冷凍され、切り身として美味しいまま輸入される魚たちが、日常の食卓に並ぶようになりました(これも素晴らしい技術です)。
物流や情報、加工技術の発展とともに可能になった効率と低価格、私たちはこの高度経済成長を駆け抜けた先人たちのその恩恵の中で、スマホひとつでほぼすべてを完結できる生活を送っています。
そして、その快適さと引き換えに、人の手からこぼれ落ちたものの中には、人を人たらしめる仕組みや、自然との向き合い方、地域社会の関係性が含まれていたと感じます。
「今ここにあるものをありがたくいただく」という行為には、採取する人の顔が見え、加工する人の声が聞こえ、食べる人の実感があります。
その一連の流れの中に“人の仕事”が見えてくると、「無駄にしちゃいけない」という気持ちが自然と湧いてくる。
この流れが、かつて地域の商い=食文化を支えていたのだと、改めて思わされます。
今回お会いした漁師さんとは、2度目の顔合わせ。
話し方も、仲間とのやり取りも、何もかもが豪快で、温かい。
彼に連れられて近くの漁港や組合の管理施設をまわると、どこからともなく人が寄ってきて、お茶とジュースが手渡され、話が始まる。
車の中が飲み物でいっぱいになった。
ここにあるのは、高密度な人と人との関わり。
効率よくメールやZoomで何でも済ませられる時代だけど、効率では測れない“人らしさ”というものが確かにあって、私はそれをこの漁師さんとの数時間の中で強く感じました。

アカエイやクロダイについては、この秋から冬にかけて流通体制を整え、都市部のレストランで提供していく予定です。
この地域に根づいていた魚の食文化を復活させるとともに、今の時代だからこそできる物流と技術で新たな換金魚種としての再評価につなげたいなと考えています。
それにしても漁師の相棒の漁船、かっこいい
